先日、40代の女性の恋バナを聞く羽目になりまして。

好みのタイプの男性の容姿は・声は、などと聞かされて、正直同年代ながら「ババアの恋バナは気持ち悪いな」と思ってしまいました。

 

同じ内容の話でも、これが女子高生なら「うん、うん」と微笑ましく聞けるのですが、40代女性になるとどうしてこうも気持ちが悪いのか? 

そのもやっとした不快感の原因を、よくよく考えてみたのですが、

◇容姿や声など外見に関する話だけだったことから、人としての薄っぺらさを感じた

◇自分自身に関してもラッピング(外側を飾り立てること)重視で、内面の在り方については一切省みることがないのだろうな、と感じた(というか実際にそういう人だった…)

思い浮かんだのはこれ。

 

もう歳だから、なんて単純な理由ではなく、そろそろ人として熟しましょうよ、という年齢のはずなのに、諸々の人生経験をまったく積んでいないことが丸見えだったことが原因ではないかと思っています。

 

『劣化するオッサン社会の処方箋』にあった、 

同じ仕事を30年続けているという人は「30年の経験がある」と主張したがるかも知れませんが、(中略)実際には「1年の経験から学び、あとは同じことを29年繰り返した」と言うべき

と同様に、自分の価値観や在り方をアップデートすることを怠っていた、もしくはその必要性を感じなかったのでしょう。

「あぁ、この人は、スライムだけと戦い続けてレベル40以上になった人なんだな」と、同年代であるがゆえのちょっと残念な気持ちも入り混じりつつ、もやもやした感情を抱いたわけです。

(ドラクエの世界ではそれはそれですごいことだけど、リアルではただの怠慢。)

 

そんな少しの会話だけで人間性って測れるんだなと思うと同時に、自分自身も発言によってジャッジされているのだろうなと思うと、ちょっと怖くも感じます。

分別のある大人として、できる限り先入観なく、人間性とか考え方とか、常にその人の内側にフォーカスすることを心がけていきたい。

また、自分自身が発する言葉も外面ばかりがいいものではなく、でも不快感を与えるようなむき出しの本音そのままでもなく、年相応のほどよくオブラートに包んだ発言・発信をしていきたい所存。  

といっても、この文章も読む人が読めば剥き身の刀みたいなものなので、まだまだ語彙力と精進が必要な自覚は大アリです。

 

劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか (光文社新書)

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